about
「信頼」 「技術」 「創意」
「信頼」=「一貫性を持つ」
福山ゴルフが掲げているテーマです。
創業から60年以上の月日が経過し、ゴルフクラブは材質、構造ともに進化を遂げて参りました。
それに伴ったスイング理論の変化もあり、SNSを筆頭に情報量も格段に増えてきました。
そんな時代だからこそ、本当の情報を見逃さず、お客様一人ひとりに合ったゴルフクラブ、スイング理論が重要です。
国内最古のゴルフクラブメーカーとして、「信頼」をテーマに一貫性を持ってお客様一人ひとりに密着し、個々のお客様に合わせた製品、及びスイングに関する最適なご提案が出来る企業でありたいと考えております。
それぞれのゴルフライフがより充実し、ゴルフを通して人々の生活の中に「楽しい」と思えることが一つでも増えることを望んでおります。
これからも福山ゴルフは「技術」と「創意」のスローガンに基づき更なるゴルフ界の発展に注力して参ります。
橋本行央
company
- 商号
- 株式会社 福山ゴルフ
- 営業内容
- ・ゴルフクラブ製作、販売、修理
- ・各種ゴルフメーカー用品販売
- ・コンペ賞品手配
- ・室内試打、ビデオ練習用設備完備
- 沿革
- ・昭和36年7月創業
- ・昭和45年11月(有)福山ゴルフ製作所設立
- ・平成4年4月(株)福山ゴルフに組織、商号変更
- 代表取締役社長
- 橋本行央
- 本社・工場
- 〒720-0825 広島県福山市沖野上町5-7-18
- TEL / FAX
- 084-921-2939 / 084-921-2940
history
創業者 橋本好巨とゴルフとの関り
昭和12年(1937年)橋本好巨は縁戚に当たる当時日本アマチャンピオンであり、ゴルフコース設計家であった佐藤儀一氏の勧めでゴルフクラブの製作に携わる。
当時、佐藤氏はアメリカに留学し、ゴルフ場の設計とゴルフプレーを学び帰国。
戦前(世界大戦)戦後を通じ、アーサー・G・SATOの名で広野ゴルフ倶楽部(兵庫県)においてクラブチャンピオンとして君臨。ゴルフ場のクラブ内にはその名が何行にも刻まれている。
(アーサーとは、佐藤氏がサンフランシスコ選手権において日本人として初めて優勝し、その当時の栄誉を称えつけられた名前と推測される。)
当時ゴルフクラブの製作者は少なく皆無であったと思われるが、大阪茨木に宮本留吉プロが一人ゴルフ場の片隅で作っておられたとのこと。前出の佐藤氏の紹介で宮本氏の工房に足を運び遠慮がちに宮本氏の作業を垣間見させて頂きクラブの構造や製作を学ぶ。
当時宮本氏は弟子を取らずただひたすらトム・ミヤモトモデルのウッドヘッド(今では伝説的なゲンコツ型ヘッド)を製作しておられ、若干17歳の少年にとっては気難しい職人として映ったとのこと。生前、そのような話を雑誌社の人達や友人に懐かしそうに昔話として橋本好巨は口にしていた。
そのように何度も宮本氏の所へ足を運び、同時に佐藤氏から新品の舶来クラブを渡されそれを分解して内部の構造を研究した。
当時、国内にはクラブを製作する法人はなく佐藤儀一氏とその仲間による合同出資会社が日本で初めて法人化されたゴルフクラブ製作会社であった。橋本好巨はその会社の職人として働いていたのであった。(又、橋本好巨自身も宮本プロ同様、職人気質を拭い切れない一人でもあった。)
その後、第二次世界大戦後も佐藤氏のもとでクラブ製作に携わり、昭和36年郷里広島県福山市に戻り、福山ゴルフ製作所として地域の方々の一人ひとりにあったオーダーメイドクラブを主に造り続け今日に至る。
※創業者、橋本好巨の製作したクラブは広野ゴルフ倶楽部内にある日本ゴルフ協会のゴルフミュージアムの中に佐藤氏愛用のクラブとしてカマボコ型パターが展示されております。